オージャス溢れるパン屋さん

私たちの日常には、時折、心を捉えて離さない「きらめき」との出会いがあります。それは、華やかな装飾や特別な出来事ではなく、むしろ素朴で誠実な営みの中にこそ宿っているのかもしれません。近所にある一軒のパン屋さんは、私にとってまさにそのような場所です。
仕事終わりにその店の灯りを見つけると、一日の疲れがふわりと軽くなるのを感じます。どのパンを手に取っても、作り手の愛情が伝わってくるような深くて優しい味わい。
しかし、私がこのパン屋さんに心惹かれる理由は、パンの美味しさだけではありません。そこに立つ人の姿に、私はいつも心を奪われるのです。
パンを作っている方の目は、パン作りが好きで堪らない、という純粋な喜びに満ち溢れ、生き生きと輝いています。
「美味しかったです!」
「間に合って良かった!買えて嬉しいです!」
と声をかけると、その方は満面の笑みで応えてくださり、眼がまさに「きらきら」という言葉がぴったりです。その輝きは、見ているこちらの心まで温かく照らしてくれて、1日の疲れも癒やされます。
先日、家でそのパンを息子と囲みながら、「本当に美味しいね」と話していた時のこと。息子がふと、こんな言葉を口にしました。
「たとえパンを買わなくても、みんな店員さんに会いたくて行っちゃうね」。
その純粋な言葉に、私ははっとさせられました。子供だからこそ、大人が見落としがちな本質的な魅力を、真っ直ぐに感じ取っているのかもしれません。それは、言葉で飾られたものではなく、心から滲み出る安心感や、混じり気のない愛情のようなものでしょう。
この出来事を通して、私はアーユルヴェーダで語られる「オージャス」という言葉を思い出しました。オージャスとは、生命エネルギーの輝き、活力の源とも言えるものです。それは、必ずしも派手さや華やかさとして現れるのではなく、むしろ、パン屋さんの彼のように、純粋で誠実な愛情に満ち、内側から輝きを放つ人の姿にこそ感じられるのかもしれません。
日々、様々な感情や出来事を経験するのが人生です。困難なことや、心が曇る日もあるでしょう。しかし、このパン屋さんのように、自分の仕事に愛情を注ぎ、生き生きと「今」を輝かせている人の存在は、私たちに大きな勇気と希望を与えてくれます。「楽しく生きている」ということは、それ自体が素晴らしいことであり、周囲をも明るく照らす力を持っているのだと、改めて教えられた気がします。
私たちは、つい目に見える成果や肩書きに価値を置きがちですが、本当に人の心を動かし、惹きつけるのは、その人の内側から溢れ出る生命の輝き、オージャスなのかもしれません。それは、特別な才能や努力の末に得られるものではなく、むしろ、日々の暮らしの中で、自分自身と誠実に向き合い、目の前のことに愛情を注ぐことから自然と生まれてくるのではないでしょうか。

購入したパン屋さんの食パンで、丁寧にフレンチトーストを作りました。こだわりの卵と牛乳、仕上げにメープルシロップとひとつまみの岩塩。一口食べれば、心まで満たされるような優しい味わい。
日常の中に潜む、ささやかだけれども確かな「きらめき」。それに気づき、感謝し、そして自分自身もまた、誰かにとってのそんな存在でありたい。パン屋さんが教えてくれた大切なことを胸に、今日も一日を丁寧に紡いでいきたいと思うのです。